住職のつぶやき
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無縁社会のなかで
平成24年8月 今年も早いものでお盆の時期をむかえました
今年も早いものでお盆の時期をむかえました。
昨年は未曾有の大震災、計画停電、原発問題、それに伴う風評被害など私たちの身の回りに直結する様々な問題がありました。しかしながら時間の経過とともに記憶から薄れいってしまうのはないでしょうか?
物の豊かな時代を送らせていただき、そして、日々移り変わる情勢、忙しい毎日を過ごしている結果、現代社会を生きて、なかなか自分を見つめなおす時間がなくなり、いつも時間に追われているような生活を強いられ、自分自身の事で精一杯、そのような事から『無縁社会』と言われる時代になってしまったのではないでしょうか。
今年の仏教講演会のテーマでありました。『無縁社会』。薄れゆく人との繋がり、家族の千繋がりさえも失いつつあるこの社会、何を信じればよいのでしょう?何をよりどころとして生きてゆくのでしょう。
3.11の地震直後、関東都市部では交通機関が全く機能しなくなり、いわゆる帰宅難民と言われる方が数万人、数十万人といわれました。この先どうなるか?家族は大丈夫だろうか?様々な不安にかられながらも、見ず知らずの人と互いに励まし合いながら不安な夜を過ごしたといいます。きっと一人きりであれば不安は膨らみ正常の心理を保つことはできず、自宅までたどり着くことが出来なかったかもしれません。そんなとき見ず知らずの人の言葉さえも励みになり心の支えとなったと聞きます。
震災で本来の人との繋がりをそこに感じたことでしょう。私たちは今一度、自分自身を見つめ直す時期にさしかかっているのです。
先日ご門徒さんの50回忌のご法事が賑々しくお勤めされました。50年と長い間お仏壇が相続されてきた証です。今この時代を考えれば、大変ありがたいことです。近年の冠婚葬祭は人に迷惑をかけたくない等の様々な事が要因として、縮小傾向にあり、特に仏事に関しましては顕著にその傾向があらわれ『無縁社会』の現状を象徴しています。家を建てても仏間がない、色々な諸事情からお仏壇さえも次世代に託すのが難しい時代になりつつあり、大袈裟に言えばお仏壇が家庭から消える時代が来るかも知れません。迷いの時代ともいいましょうか。そうなれば冒頭にも書きました通り、何を信じ、何をよりどころにして生きていくのでしょう。
私たちは一人では生きていけません。自分を信じることも大切ですが、それは問題定義が違い、価値が違います。
この『無縁社会』といわれる時代。だからこそ出来ることを考え、お互いに敬い、助け合いながら生活を送ることで、人は迷惑をかけ合ってもご縁の中に生きていることを実感できる『有縁社会』の時代になるのではないでしょうか。
住 職
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