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「なむ」は平成2年から毎月発行している福住寺の寺報です。
月報「なむ」
2023年7月
姥捨山(うばすてやま)
昔まだ日本が貧しかった時、信州地方の村では食糧事情の貧しさから一定の年齢に達した年老いた親を山の中に捨てるという、悲しい歴史があったそうです。そんな村に住むある青年が掟に従い自分の母親を背負い山に捨てに行くために歩みを進めていた時、背中の方から母親が木の枝を折って道しるべをつけている音が聞こえてきたそうです。そんな母親を見た青年は「お母さん、未練たらしいではないですか」「掟にしたがってください」と、つい感情的になってしまいました。それを聞いた母親は「心配せんでも山を降りたりはしないよ。そんなことより、帰り道にもし迷ったら、目印の枝をたよりに帰るがいい」と言って、わが子に手を合わせたそうです。折っていた枝は自分が帰るための道しるべではなく息子のためのものだったのです。青年はそんな母の姿を見て自分の浅ましさと母の暖かさから涙がこぼれたといいます。まさに今、自分は捨てられようとしているのに、それでも自分のことよりもわが子のことが心配で仕方がないと息子に手を合わせている。その母の願いは、我が子が元気で幸せに過ごせる事、ただその一つであったに違いありません。この出来事を機に村の人々も改めて大切なことに気付き、この習慣をやめられたともいわれています。
昔の人は、阿弥陀様の事を「親様」と言って親しみ、尊ばれてきました。それは、無償の愛をそそぐ母親のような存在。逃げても背いても包み込んでくれる、絶対に見捨てる事のない存在。そのような親心と阿弥陀様の大悲を重ねて、親様と大切にしてこられました。どんな私であっても「摂め取って決して捨てない」と、手をさしのべ抱きとってくださる、これが阿弥陀様のお心、お働きであります。どこまでも不確かな心を持つこの私ですが阿弥陀様のお心を頂きおまかせすることによって、すべての者がありのままの自分の姿に気づかせていただき、決して私から離れることのない確かな働きに導かれ、お念仏申す身へと育てられていくのではないでしょうか。
July 2023 Issue