福住寺

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「なむ」は平成2年から毎月発行している福住寺の寺報です。

月報「なむ」

2019年1月

“あたり前”の先にある喜び

感謝の心を持ちましょうとは、小さな頃からよく言われることですが、無理矢理に感謝しようとしても思うようにはいきません。では、感謝の心はどうしたら生まれてくるのでしょうか。感謝の思いを表わす「ありがとう」という言葉は、形容詞「ありがたい」という言葉が変化したものです。「ありがたい」は「有り難い」、つまり「めったにない」ということです。ですから、感謝の心とは私を取り巻くさまざまな事柄に対して、あたり前ではないと感じる心が、その本質であると言ってよいでしょう。
中国の故事成語に「飲水思源(いんすいしげん)(水を飲みて源を思う)」という言葉があります。一杯の水を飲む時も、この水がどういう経緯で今ここにあるのかということに思いを致すべきだと教える言葉です。私たちにとって、水は水道の蛇口をひねれば出るもので、そんなことは“あたり前”と思っています。しかし、本当にそうかと問われたら、どうでしよう。私たちの人生から喜びを奪っているもの、それは案外、私たち自身のこうした感性の鈍さなのかも知れません。
明治から昭和のはじめに、山陰地方に足利源左(あしかがげんざ)さんという浄土真宗の教えを深く喜ばれた方がおられました。この方は、田んぼで農作業をした後に泥だらけになった手足を洗うと、いつも自分の手を拝んで「なんまんだぶ、なんまんだぶ」とお念仏をされていたといいます。一緒にいた孫が「おじいちゃん、なんで手を拝むの?」と訊(き)くと、源左さんは「80過ぎてもなあ、こうして元気に働かせてもらえる手をもらっての、ありがたいことだ。それにな、親からもらった手は強いもんだのう。80年使ってもな、いっかな(少しも)、さいかけせえでもええけえの」と応えられたそうです。
「さいかけ」とは山陰地方の方言で、摩耗した鋤(すき)や鍬(くわ)の刃先の鉄を付け替えることで、つまり“手は付け替えなくていいからね”と言われているのです。なるほど、農作業の道具は、使えば折れたり摩り減ったりして、使い物にならなくなります。しかし、親からもらった手は、どんな道具より丈夫な素晴らしい宝物だと喜ばれているのです。
皆さんはこのエピソードを聞いてどう思いますか。変わった人? ……そうですね、自分の手を拝んで喜ぶなんてちょっと変わっていますね。しかし源左さんのこの喜びは、今の私たちが見失いがちな喜びなのではないでしょうか。私たちを愛おしむ豊かな光に照らされ、“あたり前"があたり前ではなかったと知らされていくことで、「生かされていることへの『感謝』の心」が育まれていくのです。

The joy beyond "ordinary"

January 2019 Issue

We were often told to be grateful since we were little. To feel grateful is not something you can force.
So, how can we give birth to the sense of gratitude?
The essence of gratitude is to realise that things that we have in our lives are ordinary.
To us, water is something we can get by turning the tap and nothing special.
When we drink a glass of water, think about how the water got here right now.
From Meiji to Showa Era, in Sanin region, there was a farmer called Ashikaga Genza who was a follower of Jodo Shinshu.
After working in the rice paddy, he washed his muddy hands and legs, he would worship his own hands and recited nembutsu.
When his grandchild asked "Why are you worshipping your hands?"
Genza said, "I am grateful that I was given these healthy hands I can work with even when I am over 80 years old. The hands my parents gave me are so strong. They haven't worn out even after 80 years of use."
After many years of use, plow and hoe can not be used as they get worn out and broken.
He was grateful that his hands were longer lasting and wonderful treasure than any tool.
How do you feel about this story?
Do you think he was a bit strange?
He does seem a little unusual to be worshipping his own hands.
However, his joy was the sort of gratitude we tend to lose sight of in our lives now.

光明山 福住寺

札幌市豊平区福住1条1丁目3番1号
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